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2025

4-G.D日本平面設計四大天王:

龜倉雄策、田中一光、永井一正、福田繁雄

展覽緣起

 

1960年代是日本現代平面設計崛起的重要時期,從「JAAC日本宣傳美術會」、「21の會」、「JAGDA日本平面設計師協會」等日本設計發展的社團協會,都可以看見龜倉雄策、田中一光、永井一正、福田繁雄四人推動著日本平面設計發展的身影,其中又以1978年JAGDA日本平面設計師協會創立,1978~1994年龜倉雄策、1994~2000年永井一正、2000~2009年福田繁雄先後擔任該協會三十餘年理事長,奠定日本平面設計堅實的基礎。1987年讀賣新聞社・富山縣立近代美術館編輯出版《4-G.D 龜倉雄策•田中一光•永井一正•福田繁雄》,將四位巨匠的經典海報、標誌作品彙整展覽,構成日本現代平面設計熠熠生輝的史頁。他們也共同參與1960年WoDeCo東京世界設計大會、1964年東京奧運會、1970年大阪萬國博覽會、1972年札幌冬季奧運會、1975年沖繩海洋博覽會、1985年筑波科技博覽會等影響日本現代設計極具關鍵性的大型活動,奠定日本平面設計發展的堅實基礎。本次台灣設計口策畫「4-G.D日本平面設計四大天王:龜倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄」展出四位巨匠代表性海報、標誌、書籍裝幀以及個人出版專輯,透過此次展覽得以認識日本現代平面設計的四大天王如何承繼日本深厚的美學,並以創新視角形塑出個人的風格相互輝映,串聯起日本現代平面設計發展的輝煌史頁。

《封神演義》書中「四大天王」有「增長天王」職司「風」、「廣目天王」職司「調」、「多文天王」職司「雨」、「持國天王」職司「順」,因此常在日本寺廟入口處見到象徵風調雨順的四大天王,成為護國佑民、祈福祝願的精神支柱,若將之轉化為引領護佑日本現代平面設計的四位巨匠,從中窺探出四人作品特色及個人形象的表徵。「起承轉合」是一種中國、韓國、日本傳統敘事結構,作為撰寫詩詞文章的論述脈絡;元代范德璣的《詩格》:「作詩有四法:起要平直,承要舂容,轉要變化,合要淵永。」 若以「起承轉合」來評析日本現代平面設計發展的歷程,再對應於「風調雨順」四大天王的性格,得以發現日本現代設計發展歷程之中隱約浮現「起風」的龜倉雄策、「承雨」的田中一光、「轉調」的永井一正、「合順」的福田繁雄四個人的鮮明形象,這四位巨匠展現出以不同的人格特質與獨特風格,建立起日本現代平面設計發展的里程碑。

 

起風:龜倉雄策

龜倉雄策(Yusaku Kamekura,1915~1997)生於新瀉,他於戰前任職於日本工房編輯《NIPPON》雜誌,是戰後在標誌、海報設計領域具有歷史定位的先驅者。他所設計TDK、G-Mark、Meiji、日本傳統工藝、NTT等標誌深植人心,另外1950年代Nikon、1960年代國際照明器具大賽系列海報成為經典,尤其是1964年東京奧運標誌以及攝影系列海報樹立起奧運史的典範,榮獲全球各大海報設計大獎的肯定;而他所推動的「日本宣傳美術會」、「グラフィック'55」、「21の會」、「Hiroshima Appeals」,號召設立「NDC日本設計中心」,編輯出版20冊《Creation》,1978年創立「JAGDA日本平面設計師協會」擔任理事長至1994年,可謂是引領日本平面設計「起風」的領袖人物。 龜倉雄策於1988年偕同JAGDA五個設計協會共同設置「勝見勝賞」,1989年JAGDA與ICOGRADA舉辦泛太平洋設計大會,1999年JAGDA設置「龜倉雄策賞」可謂是向這位引領日本現代平面設計起風者致上最崇高的敬意。

承雨:田中一光

出身奈良的田中一光(Ikko Tanaka,1930~2002),他是延續琳派的傳統風華,又能推陳出新的日本設計詩人,其作品精煉如詩、優雅如歌總是能夠讓觀者細細品味其中的韻味;從田中一光參與大量文化藝術活動的海報、字體、標誌、書籍設計作品,可以窺見他是繼承傳統文化豐沛的雨露,灌注日本平面設計界成為沃土,呈現如同植物「承雨」成長茁壯的精神象徵,因此國際設計界將田中一光視為象徵日本精神文化的設計典範。他為產經新聞社「產經觀世能」系列、モリサワ森澤字體公司所設計的「明石體」、「明朝體」字體海報成為兼具傳統與現代的經典;另外他所擔任MUJI無印良品視覺藝術總監,是從善念設計與服務社會的觀點,所建構出「無印卻有品」的品牌戰略新思維。田中一光曾經以「設計的前後左右」為題的出版與展覽,這正說明其承接傳統與連接未來的關鍵角色。

 

轉調:永井一正

永井一正(Kazumasa Nagai,1929~)生於大阪,1960年加入NDC日本設計中心之後,為日本各大企業進行令人耳目一新的企業形象與品牌設計,並且持續引領該公司的健全發展,成為長期堅守NDC的精神領袖。他於1965年榮獲波蘭華沙國際海報雙年展金獎、1972年札幌冬季奧運會與1975年沖繩海洋博覽會的標誌設計,奠定其接續了龜倉雄策在日本平面設計的偉業。近年來永井一正勤於繪製插畫並且轉換為海報,並且從早期的抽象圖形到近年的具象表現不斷地推陳出新,他在各大美術館所舉辦「LIFE」系列海報作品展,呼籲全球重視生態保育,直至九十餘歲高齡依然參加全球設計展覽與競賽,展現出他是一位不會滿足現狀並且不斷地超越自己的創作者,因此以「轉調」形容其他是優游於繪畫與設計的藝術家,永井一正於1994~2000年擔任JAGDA理事長期間,1999年特別設置「龜倉雄策賞」象徵日本平面設計的世代轉折。

 

合順:福田繁雄

福田繁雄(Shigeo Fukuda,1932~2009)出生於東京,他在海報、插畫、標示符號以及立體作品等跨領域卓然有成,他參與了1964年東京奧運會服務標示符號Pictogram,1970年大阪世界博覽會、1998年葡萄牙里斯本海洋博覽會也都由其規畫標示符號系統設計,展現其精簡圖象與精準示意的卓越能力。1970年大阪世界博覽會官方海報讓福田繁雄聲名鵲起,之後他以圖地反轉、錯視空間的海報成為個人獨特的風格,件件作品都能直擊人心,或是讓人發自內心為之一笑。1993~1995年福田繁雄擔任ICOGRADA國際平面設計社團協會副理事長期間,積極推動日本參與國際設計事務,建立日本在國際設計的聲望;他於2000~2009年擔任JAGDA理事長十年之久,2003年於名古屋舉辦ICOGRADA國際平面設計大會,2008年受邀擔任韓國大邱所舉辦ICOGRADA大會開幕主講嘉賓,並且常常受邀至全球各個設計競賽擔任評審,可謂是促成日本與國際設計界「合順:合作順暢」的靈魂人物。

同心:參與日本大型活動設計

翻開日本現代平面設計熠熠生輝的史頁,龜倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄四位設計巨匠共同參與1960年WoDeCo東京世界設計大會、1964年東京奧運會、1970年大阪萬國博覽會、1972年札幌冬季奧運會、1975年沖繩海洋博覽會、1985年筑波科技博覽會等影響日本現代設計極具關鍵性的大型活動設計,他們同心協力建立起現代平面設計發展的里程碑。

共創:共同參與日本書刊設計

龜倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄各自在海報、標誌、書物等設計交織出時代的風華,他們是支撐日本現代平面設計發展的支柱,也在不同設計項目各領風騷,但是他們在《デザイン Design》、《グラフィックデザイン Graphic Design》《アイデアIDEA》、《たて組ヨコ組》、《ggg》等同類設計刊物,展現出日本現代平面設計同中求異的豐富面貌。

2025

4-G.D日本のグラフィックデザイン界の四天王:

亀倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄展

展示にあたって

 

1960年代は、日本の現代グラフィックデザインが台頭した重要な時期です。「日本宣伝美術会(JAAC)」、「21の会」、「日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)」といった日本のデザイン発展を力強く牽引してきた団体には、いずれも亀倉雄策、田中一光、永井一正、福田繁雄の4人の姿がありました。このうち、日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)は1978年の設立から、1978~1994年は亀倉雄策、1994~2000年は永井一正、2000~2009年は福田繁雄がそれぞれ理事長を歴任。この4人が30年以上にわたり日本のグラフィックデザインの確固たる基礎を築いたのです。1987年には、読売新聞社と富山県立近代美術館が4人の巨匠による代表的なポスターとマークを収録した『4-G.D 亀倉雄策•田中一光•永井一正•福田繁雄』を編集・出版しました。同書は、日本における現代グラフィックデザインに燦然史に燦然と輝く1ページを刻んでいます。また、1960年の世界デザイン会議(WoDeCo)、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博、1972年の札幌冬季オリンピック、1975年の沖縄海洋博覧会、1985年のつくば科学万博といった日本の現代デザインにとって大きな影響を与えた大型イベントにも共に携わり、日本のグラフィックデザインの発展に大きく貢献しました。今回、台湾設計口(Taiwan Design Corner)が企画した「4-G.D日本グラフィックデザイン四天王:亀倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄」展では、4人の巨匠による代表的なポスターやマーク、ブックデザイン、個人作品集などを展示しています。本展では、日本の現代グラフィックデザイン四天王が、どのようにして日本の深遠な美意識を継承し、斬新な視点からそれぞれのスタイルを築き上げ、互いに響き合いながら輝きを放ってきたのか、そして、日本の現代グラフィックデザインが発展してきた輝かしい歴史を、どのようにつないできたのかを知ることができるようになっています。

『封神演義』に登場する「四天王」は、「増長天王」が「風」、「広目天王」が「調」、「多文天王」が「雨」、「持国天王」が「順」を司ります。そのため、日本の寺院の入口などで見られる「風調雨順」を象徴する四天王の像は、国を護り、民を救い、人びとの願いや加護の精神的な支柱として親しまれてきました。この四天王を、日本の現代グラフィックデザインを牽引し支えてきた4人の巨匠に当てはめてみると、それぞれの作品の特徴や個性が浮かび上がってきます。「起承転結」は、中国、韓国、日本に共通する伝統的な文章構成法であり、詩歌や文章の論理的な流れを作るうえで用いられます。元の時代の范徳璣が著した『詩格』には「詩作は4つの方法がある。すなわち、起は平明に、承は流れるように、転で変化をつけ、結では余韻を残す」 と記されています。この「起承転結」を日本の現代グラフィックデザインの発展過程に重ね合わせ、「風調雨順」の四天王の性格に対応させてみると、「風を起こす」は亀倉雄策、「雨を受け継ぐ」は田中一光、「調を転じる」は永井一正、「縁をつなぐ」は福田繁雄という4人の鮮明なイメージが見えてきます。この4人の巨匠は、それぞれの異なる個性と独自のスタイルによって、日本における現代グラフィックデザイン発展のマイルストーンを築き上げてきたのです。

 

風を起こす:亀倉雄策

亀倉雄策(Yusaku Kamekura,1915~1997)新潟県出身。戦前は、日本工房で雑誌『NIPPON』に編集に携わり、戦後はロゴマークやポスターデザインの分野で歴史的な地位を確立した先駆者です。彼が手掛けたTDK、グッドデザイン賞のGマーク、明治製菓、日本伝統工芸、NTTといった数々のロゴマークは、人びとの心に深く刻まれています。また、1950年代のNikon、1960年代の国際的な照明デザイン賞コンペティションのシリーズポスターは今もなお名作として知られています。なかでも1964年の東京オリンピックのシンボルマークやポスターは、オリンピック史上でも傑作として評価され、世界各国のデザイン賞を受賞しました。また、日本のデザイン界を牽引するリーダーとして、「日本宣伝美術会」や「グラフィック'55」、「21の会」、「ヒロシマ・アピールズ」において積極的に活動を行い、「日本デザインセンター(NDC)」の設立を呼びかけ、全20冊の雑誌『クリエイション』を編集・出版。1978年には「日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)」を創設し、1994年まで理事長を務めるなど、まさに日本のグラフィックデザイン界に「風を起こした」人物だと言えます。1988年には、JAGDAなど5つのデザイン協会と共同で「勝見勝賞」を創設。1989年には、JAGDAとイコグラーダ(国際デザイン評議会、ICOGRADA)とともに汎太平洋デザイン会議を開催しました。1999年、JAGDAが「亀倉雄策賞」を創設したことは、日本の現代グラフィックデザインを牽引した巨匠への、最高の敬意を表したものといえるでしょう。

雨を受け継ぐ:田中一光

田中一光(Ikko Tanaka,1930~2002)奈良出身。琳派の伝統的な美意識を受け継ぎながら、そこに新しさを生み出した「日本のデザイン詩人」です。その作品は詩のように洗練され、歌のように優雅で、見る者はその独特の魅力に引き込まれます。田中が手掛けた数多くの文化・芸術活動のポスター、書体、ロゴマーク、ブックデザインからは、日本の伝統的な文化から受け継いだ豊かな「雨露」を日本のグラフィックデザイン界という「沃土」に注ぎ、そこで植物が「雨を受け継ぐ」ように成長を促した精神的象徴がうかがえます。こうしたことから、国際的なデザイン界では、田中一光は日本の精神文化を象徴するデザインの規範(モデル)とされています。産経新聞社の「産経観世能」シリーズや、株式会社モリサワが制作した「明石体」「明朝体」のフォントポスターは、伝統と現代性を兼ね備えた不朽の名作です。また、無印良品(MUJI)のアートディレクターを務めた際には「良いデザインを通じて社会貢献する」という視点から、「ブランドは持たないが、品質には妥協しない」というブランド戦略を構築しました。また、「田中一光とデザインの前後左右」というテーマの出版物や企画展では、伝統を受け継ぎながら、それを未来へとつなぐという、田中の重要な役割が物語られています。

調を転じる:永井一正

永井一正(Kazumasa Nagai,1929~)大阪出身。1960年の日本デザインセンター(NDC)の創立に参加し、日本の大手企業に斬新な企業イメージとブランドデザインをもたらしました。その後も、長期にわたりNDCを牽引し、その健全な発展を支え続けた精神的なリーダーです。1965年、ポーランドのワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞を受賞したほか、1972年の札幌冬季オリンピックや1975年の沖縄海洋博覧会ではシンボルマークのデザインを手掛けるなど、日本のグラフィックデザインにおいて、亀倉雄策を受け継ぐ存在として確固たる地位を築きました。近年は精力的にイラストを制作し、ポスター作品として発表しています。初期の抽象的なグラフィックから、近年は具象的な表現へと、常に新しい挑戦を続ける彼の姿勢は、まさに「転調」を体現しています。各美術館で開催された「LIFE」シリーズのポスター展では、世界に地球の生態系保全を訴え、90歳を超えた今なお、世界各国のデザイン展やコンペティションに参加し、現状に満足することなく、常に自らを更新し続けるクリエーターです。その姿は、絵画とデザインの世界を行き来するアーティストのようでもあります。1994年から2000年までJAGDAの理事長を務め、1999年には「亀倉雄策賞」を創設しました。これは日本のグラフィックデザイン界における世代交代を象徴する出来事と言えるでしょう。

縁をつなぐ:福田繁雄

福田繁雄(Shigeo Fukuda,1932~2009)東京出身。ポスターやイラスト、シンボルマーク、立体作品など、幅広い分野で優れた業績を残しています。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わったほか、1970年の大阪万博、1998年のリスボン万博でもピクトグラムを手掛けており、洗練されシンプルでありながら的確な情報を伝えるという、卓越した表現力を発揮しました。1970年の大阪万博の公式ポスターで一躍その名を知られるようになり、以降、「地と図の反転」や「錯覚」を巧みに用いたポスターは、福田独自のスタイルとして確立されます。作品のひとつひとつが見る人に驚きと喜びを与え、あるいは笑顔にしてしまう作品は、今なお人びとを魅了しつづけています。1993年から1995年にかけて、国際デザイン評議会イコグラーダ(ICOGRADA)の副理事長を務め、日本が国際デザイン界で存在感を示す礎を築きました。2000年から2009年まではJAGDAの理事長を10年務め、2003年には名古屋でイコグラーダの世界大会を開催。2008年には韓国大邱(テグ)で開催されたイコグラーダ大会では基調講演を行うなど、その活躍は多岐にわたります。世界各地のデザインコンペティションに審査員として招かれるなど、日本のデザイン界と世界の「縁をつなぐ」まさにキーパーソンといえる存在です。

心を一つに:日本の大型イベントデザインへの参加

日本における現代グラフィックデザインの輝かしい歴史をひもとくと、そこには亀倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄という4人の巨匠たちの姿があります。彼らは、1960年の世界デザイン会議(WoDeCo)、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博、1972年の札冬季オリンピック、1975年の沖縄海洋博覧会、1985年のつくば科学万博などの日本の現代デザインに極めて大きな影響を与えた数々の大型イベントのデザインに共に携わりました。彼らはまさに心を一つにして協力し、日本の現代グラフィックデザイン発展の礎を築いたのです。

共に創る:日本の書籍・刊行物デザインへの協働参加

亀倉雄策、永井一正、田中一光、福田繁雄は、それぞれポスター、ロゴ、ブックデザインを通して、時代の華々しいスタイルを創り出し、日本の現代グラフィックデザインを支える柱となりました。彼らはさまざまなプロジェクトで主導的な役割を果たす一方で、『デザイン』、『グラフィックデザイン』、『アイデア』、『たて組ヨコ組』といったデザイン専門誌や『ggg‐Ginza Graphic Gallery』などの刊行物においても作品を発表し、日本の現代グラフィックデザインの多様な姿をともに描き出しています。

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